年份:1965
评分:7.3
地区:日本
播放:112
导演:大岛渚
编剧:大岛渚
大島本人の言葉:「おのれの内部から発する歌をうたうという形の作品ではなく、外在する素材をとらえて映画をつくる場合にそこに強引におのれの歌を結びつけようとするあまりに破綻をくりかえしつづけてきた私が、ようやく、そうした場合にはむしろ素材のなかにおのれを発見して行くべきなのであるという当然の方法をようやく方法として身につけたように思われることである」。他说得很玄但其实就是对真实·记录·解释三者结合的迷恋(也许可解释为剧情电影导演对纪录影像的崇拜?)。结合本作形式来看,影像(大岛渚在南韩拍的写真)作为记录连接真实(韩国少年日记的朗读声,伤感而主观)与解释(日本男子的旁白,冷漠愤怒又讽刺),但三者之间的联系实则非常稀薄,不论是影像与声音(影像中没有主角本人身影),还是声音之间(虽然看似问答形式)。答复举报防寒对策 2020年11月21日
大岛渚一定是在模仿克里斯·马凯的[堤],不过这种技巧被他用来表现十足批判性的内容,韩国战后大邱市少年的悲惨生活。第一人称和第二人称叙事交织。音轨做得还真心不错呢。这便是”日本新浪潮“的作品啊。答复举报胤祥 2020年12月27日